集団行動を多く取り入れる学校教育は浅い
無駄に集団行動が多い学校教育が、大人になって何も役に立っていない。
事実として、小学校→大学と過ごした私に全く外向性が付かず、生涯ずっと対人が苦痛なためだ。
外向性を身に着けたい子供だけが選択して集団行動し、対人が苦痛な人間は授業も出ず個人学習を究めるべきだ。
学校教育は無駄に集団行動が多い。
そもそも、下手な教師の授業を聞くのもなぜ集団で聞かなければならないのか?
無駄に集団行動を多くする意味が無い。
集団行動を出来るように矯正しようとしても、私のように対人が苦痛な人間にとっては、矯正しようが無い。
外向性を身につけさせようとしているのだろうが、集団行動はストレスと平凡な賃金しか得られない。
集団行動がしたい人間だけ集団行動が多い学校に通い、それ以外の人間は集団行動の無い学校へ行くか、個人の学習を究めるべきだ。
各々に合う方法で個々人の長所を伸ばすことが、今後の社会で成功する鉄則だ。
※平凡な賃金とは、”平均年収を問わず雇われの身分で得られる賃金”を指す。
私のお金への価値観で付けた言葉なので、個々の読者の方とは認識がズレているかもしれない。