無駄しか生まない恨みを捨てたい
恨みを消し去りたい。
以前に前職の障害者採用担当への恨みを当ブログに書いたが、今後は止めよう。
恨みを持っても時間とカロリーの無駄なためだ。
インターネット上の恨みアピールは誰も得しない
ツイッターの障害者アカウントで時々見掛ける「親が悪くて精神障害者になりました」のアピール。
親への恨みが大きいのだろうが、インターネット上に書いても、余計に恨みが増し、本人のストレス無駄増と時間の無駄遣いにしかならないと思う、
また、インターネット上の見ず知らずの人がこれを見ても、同情などする人が実在しないと思う。
同じ精神障害者の私は、正直気持ち悪いとしか思わない。
つまり、恨みの文書を読んだ側も良い気分にならず、誰もが損をするため、インターネット上で恨みを撒いた所で何も良い事が無い。
しかし、人のことは言えない。
私も当ブログで、似た事をやっていたためだ。
『前職の人事部障害者担当者を憎んだブログ記事を読んだ人も、同様に私を気持ち悪いと思った』
はずだ。
前職の障害者採用担当を憎んだところで、無駄なストレスと時間を生むだけで、私に何も良い事が無い。
当該記事を読んだ人も、不快になるだけで読んだ時間が無駄遣いになり、悪いこと尽く目だ。
意味のない恨みに時間とカロリーを使うのはやめよう
やはり、”済んだことor変えようのないこと”に対する恨みは、何の意味も無い。
私の前職の恨みは、「恨みが就活のモチベーションを上げるかも?」と考えたが、特に変化も無かった。
寧ろ、前職の恨みをぶり返して余計にイライラするだけだ。
ツイッターで見掛ける親への恨みは、生まれた後に親のせいにした所で、現状は何も変わらないだろう。
それよりも、今後の人生で確実に役立つことのみに時間とカロリーを使っていこう。
障害者採用担当への恨みを書いた記事は複数あるが、一例がこちら↓